お休みをいただいたGWは熊野古道を歩いてきました。

南方熊楠が神社合祀政策に抵抗し、守った熊野の森。
「殖産用に栽培せる森林と異り、千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し…」と熊楠がつづった森を、この目で見て肌で感じてみたかったのです。
長年見たいと願っていた植物に初めて出合えた一方で、歩けば歩くほど、最後の最後まで、歴史的に価値ある茶屋跡の石積みの中までもみっちりと植えられた杉・杉・杉に、違和感は大きくなるばかり…。

熊野古道の森は、ほとんどが“殖産用に栽培せる森林”に変わっていました。薄暗い林床には下草も生えず、杉の枯れた枝葉と間引きされた切り株や幹が累々と折り重なっているのです。
小雲取越えの桜茶屋跡では、「小和瀬からの急坂を上ってくる参詣者が見えたら餅をつきはじめ、つきあがった頃ちょうどその人たちが到着した」とあるけれど、今は鬱蒼と茂った杉で何も見えません。

熊野本来の森は、シイやカシなどの常緑樹を中心とした照葉樹林。その中に落葉広葉樹や常緑針葉樹が混在する多様性に満ちた森でした。そして40年ほど前までは、熊野の大塔山系にまだ広大な照葉樹林~ 千百年来斧斤を入れざりし神林 ~が残されていたそうですが、それもほとんどが破壊され、スギやヒノキの人工林に置き換えられてしまったといいます。
今や日本の森林の約4割が単一植林された人工林。商業的に採算が合わなくなってからは手入れもされず放置され、荒れて土砂崩れや河川の氾濫など、二次災害の原因になることも少なくありません。
熱帯雨林を伐採してパームヤシのプランテーションに置き換えられた森がたくさんの生き物たちの棲み処を奪っているように、ここ日本でも戦後の木材不足から進められた植林政策で、多くの生き物たちが生息場所をなくしているのです。クマ、シカ、サル、イノシシなどが里におりてきて畑を荒らし、人を襲ってしまったりするのも、もとはといえば食べ物豊富な自然林が極端に減らされてしまっているからではないでしょうか。
一方、里山の薪炭林など人が定期的に手を入れることで植物の多様性が増し、訪れる昆虫や野鳥がふえ、豊かな自然が息づく場合もあります。私が今、畑にしているところも、60年代にいったん原生林が切り開かれてパイン畑になり、70年代初めの冷凍パイン、パイン缶詰の輸入自由化以降パイン産業が衰退して耕作放棄地となってからは、一面リュウキュウマツやススキで覆われ、強い単一植物が圧倒していました。リュウキュウマツの林はやがて地域本来の自然林へと遷移していきますが、放置された杉林はどうなのでしょう。

それでもそこここで可憐な花に出合い、里山の方たちの植物との関わりにふれることができた古道歩き。人間にとって有益な植物を植えることと、天然の自然環境。どうすれば地域の特性を生かしてベストなバランスを保てるのか? 自戒をこめて、深く考えさせられる旅となりました。古道で出合った植物を中心に、何回かに分けてお伝えしていきたいと思います。