森野旧薬園のある大和の大宇陀は、昔から薬草がよく育つ土地柄だったそう。
日本書紀には「夏五月の五日に菟田野(うだの)に薬猟(くすりがり)す」という記述があり、これは推古天皇が611年薬猟をされたという、日本最古の薬草採りの記録だといわれます。
また、古来宇陀は丹(に)~辰砂、水銀鉱物~が産出する土地で、丹は不老長寿の薬と信じられ、その朱色は魔除けとして古墳や神社の彩色に使われてきました。丹を含む土壌に育つ薬草やそこに育つ鹿などの動物には、薬効があると考えられました。
昔は、薬草も、染料も、すべて神のなす不思議なわざとして、信仰の対象になっていた。今でも不思議なことに変りはないはずだが、人間の力を過信するあまり、そういうことは非科学的な、野蕃な思想として片付けられてしまった。が、ほんとに野蕃なことだろうか。~中略~私たちには、花一つ、種一つ、創造できないのを思う時、もう少し謙虚な心に還って、自然の語る言葉に耳をかたむける必要がありはしないか。(白州正子『かくれ里』より)
森野家が吉野からこの地に移り、森野賽郭があらゆる薬草に興味を持ち薬園を作ったのにも、そんな宇陀の土地柄に背景があるのかもしれません。
蓬門をくぐり、つづら折りの石段を登っていきます。
芽吹いた若葉にシャクナゲが美しい
中庭が見えます。
両側の土手にはさまざまな野草と薬草が。ひとつひとつ名前と効能を記した札も立てられています。
イカリソウ(淫羊霍(インヨウカク)) 強精、強壮
ハナズオウ
開けた中腹の畑も整えられてはいますが、里山の景色そのまま
薬草園というと、研究所みたいだが、そういう薬臭さは一つもなく、自然の庭園のように、さりげなく造ってあるのは好ましい。藤助さんは、よほど趣味のいい方だったに違いない」(白州正子『かくれ里』より)
よく手入れされていますが野草や雑木もそのままに、除草しすぎていないのが素敵。
開園は1729年。約250種の薬草木と、観葉植物、花木が植えられており、貴重な薬草の保存、継承を目的に維持管理されています。
わらで囲われたチョウセンニンジン
晩年の賽郭が薬草の研究と写生にいそしみ、全十巻の『松山本草』を完成させた桃岳庵
『かくれ里』カラー口絵写真の松山本草
賽郭には佐兵衛という忠僕がいて、12歳から82歳で亡くなるまで、薬草の世話に生涯を捧げたとか。
白州正子が訪ねた当時(『かくれ里』の初版発行が1991年なので、その数年前でしょうか)は、十三、四の頃子守で森野家にやってきた松尾愛さんという六十あまりの女性が薬園の世話をしていたとあり、『薬草の博物誌 森野旧薬園と江戸の植物図譜』(LIXIL BOOKLET 2015)では、原野悦良さん(出版時83歳)という方が2006年から管理を引き受けていると紹介されています。今年86歳になられているであろう原野さんは、今でも園内を回り、手入れをされているのでしょうか。
薬園には私のほか、誰ひとりの人影もなく。
三百年ものあいだ大事に守られてきた植物たちの、うららかな春の日差しと風をよろこぶ声が聞こえてくるようで、永遠の一瞬を感じる幸せなひとときでした。
できることならもっと時間をとって、賽郭にならい写生のひとつでもしたかった…
後ろ髪ひかれる思いで石段を降ります。
家屋のすぐ裏にも苗床が。
薬園には南方や浜辺の薬草も植えられ、季節柄、地上部は見えませんでしたが、ウコンやハマゴウ、ボタンボウフウ(長命草)などの標識もありました。
ターシャの庭のように植物を愛する人による、こまやかな手入れの行き届いた森野旧薬園。
自然であたたかな風情のありようは、“私設の薬草園”だからこそ実現しているのかもしれません。
(つづく)
この薬草園は誰でも見学できるのですか?
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はい、見学可能です。ウェブサイトはこちらです。http://www.morino-kuzu.com/kyuyaku/
ぜひ訪ねてみてくださいな。
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