薬草の旅~森野旧薬園をたずねて その2

森野旧薬園のことは、だいぶ前に白州正子の『かくれ里』(新潮社)を読んで知りました。

わたしもかくれ里へ分け入って、ひっそりとした薬園を歩いてみたい…

そんな思いは日々流され、心の奥深くにかくれてしまっていましたが、母の「伊賀焼の里へ行きたい」というひとことで掘り起こされました。伊賀なら森野旧薬園のある大宇陀までそう遠くありません。

森野家は16世紀から、吉野の里で農業のかたわら葛粉の製造をはじめ、「吉野葛」として知られるようになります。その後葛晒しに欠かせない良質の水と冬の寒さを求めて、この大宇陀の地に移住しました。

第11代森野藤助(号は賽郭。1690~1767)は、葛粉の製造を引き継ぎつつ薬草木が好きで、栽培や研究をおこない、幕府の採薬師とともに各地で薬草を採取。その報償として幕府から貴重な中国産の薬草を下付され、当時としては唯一の私設薬草園である森野薬園を開設しました。

森野旧薬園の入口は旧街道沿いの店舗。本当にこの奥に広い薬園があるのかしら、といぶかりながら暖簾をくぐると、和菓子屋さんのようなガラスケースがあり、吉野葛のさまざまな商品が並んでいます。

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右手奥には広い中庭があり、そこは2004年に新工場ができるまで使われていた葛の製造場。

中庭のほとんどを、流れるプールを区切ったような水槽が占めています。

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作業場には乾燥させた葛の根や桶、木箱、長靴などが残されていて、真冬に寒晒しをする往時の光景がしのばれます。

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建屋のひとつは資料館。ちょうど2018年春季展覧会の会期中で、貴重な古石のコレクションや、藤助が写生、彩色した動植物図鑑『松山本草』の一部などを見ることができました。

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中庭の向こう正面には賽郭の孫、好徳(号は石水)が隠居所として建てた石水亭があり、

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「蓬門(ほうもん) 今始めて君のために開く」という扁額(現在はその拓本)が掲げられている門があります。これは石水と交流のあった画家、池大雅が訪れた際に書き記したものと伝えられているとか。

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いよいよこの門の先、石段の続く裏山全体が薬園です。

(つづく)

 

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