30代の頃、五月の連休でキャンプに行ったときのことです。東京に生まれ育ち、山菜についてほとんど知識のなかったわたしですが、さまざまな草木が生えているなか、あきらかに目立つ新芽に目がとまりました。特殊な能力などなくても、オーラにあふれて光りかがやいているのがわかります。見るからに美味しそうで、摘みたくなりました。同行していた山菜にくわしい人に聞くと、それはイタドリでした。ゆでてお浸しや炒めものにしたり、乾燥させた茎や葉をお茶にするといいます。
植物に対する知識はなくても、こうして植物のほうから「食べられますよ」と教えてくれているんだなあ、とそのとき思いました。むかしのひとたちも、こんなふうに生命力あふれる草木に目をとめ、食べられる植物をみつけていったのではないでしょうか。
今でも石垣の野山を歩いたり、畑にいると、植物たちの光りかがやく生命エネルギーに引き寄せられます。不思議な輝きは、やっぱりオーラとしか表現しようがありません。名前を知らず、どうしても気になって調べると、とても有用な薬草だったりするのです。近代西洋医学の要素還元主義的な分析によればさまざまな微量栄養素が含まれているとわかりますが、東洋医学の全体システム主義な考え方では、植物全体の生命エネルギーそのものが薬になります。
そんな植物の生命エネルギーをいただくには、とれたての鮮度のいいものをできるだけ早く、生で食べるのがいちばんです。野生動物はそうしています。でも、生でおいしく食べられるものもあれば、ヨモギなどそのままでは苦くて食べられない薬草もあります。いえ、良薬口に苦しで、そのままでは苦かったり渋かったりして食べられない薬草のほうが多いかもしれません。そこでゆがいてお餅に混ぜたりして、美味しく食べられるように工夫されてきました。
薬草茶も同じです。苦かったり渋かったりする野草や樹木の葉も、煮出してお茶にすれば美味しくいただけます。そして、生食では摂取しにくい植物の微量栄養素や生命エネルギーをいただくことができます。乾燥させることで生より鮮度は落ちますが、ながく保存できたり、かさが小さくなるので生よりもたくさん摂取できる、という利点があります。
今、スーパーや八百屋さん、市場などで手に入る野菜は、ほとんどが美味しく食べやすいように品種改良され、化学肥料で早く大きく成長させた野菜です。そのことにより、野菜の苦味成分や渋味成分に含まれる微量栄養素は少なくなっているかもしれません。忙しさから加工食品ばかり食べてしまって、ただでさえ野菜不足になっているかもしれません。ふだんの食生活だけではとりにくい微量栄養素や、植物全体の生命エネルギーも、薬草茶なら手軽にとることができます。
「喫茶」というと、食後の一服やコーヒーブレイクなど、リラックスできる精神面への効果がまずあげられますが、世界中に多様なかたちでひろがる喫茶の習慣は、もともと食事だけではとりにくい、けれども身体にとって重要な栄養素をとることから始まったのかも…などと想像してしまいます。
